「本格始動」

| コメント(0) | トラックバック(0)

ようやく!テニスができる喜びと毎日少しずつ

増えてゆく自分達のルール!

毎日が楽しい学校生活でした。

 

コーチが教えてくださるテニスは

本当に目から鱗なことばかりで、

皆、コーチの話を食い入るように聞き、

ひとつも逃さずに自分のものにしたいと必死でした!

 

後から聞いた話ですが、

コーチは硬式テニスの指導員の資格を持つ方で

プロとも面識があり、その筋では有名な方でした。

市の職員をしながら、時々テニスを楽しんでおられた。

そんな方とは、知らずに教わっていた訳です!

道理で上手く成る訳です・・・。

 

それから1年が過ぎ、新1年生が8人入部してきました。

人数的にも同好会としてではなく、硬式テニス部として

認められ!

2年生の春からは硬式テニス部となりました。

 

ただ、試合相手がその当時、県内には少なく中々できない。

そこで思いついたのは、コーチの提案で一般の

試合に参加すると言うものでした。

 

一般人と試合をするなど無謀とも思えましたが

いざ!試合をして見ると結構勝ち抜いて

優勝~ベスト4までうちの学校が占めることも

度々ありました。

これもコーチの指導のお陰だと今でも思います。

 

そして、私を含め!あの頃の硬式テニス部の仲間が

あちらこちらの学校でコーチとして指導にあたっています。

中には全国大会に名前を連ねている学校のコーチも存在します。

 

その恩師だったコーチが先日亡くなりました。

私の人生を大きく変えたコーチとの出会いは

今でも心の中に残っています。

 

人生・出会い・本当に判らないものですよね!

顧問も決まり!

事あるごとに部集会を開くように成りました。

皆の努力の甲斐もあって、4人で始めた

硬式テニス同好会も夏が終わる頃には

男子6人!女子2人と人数的には

同好会としても認められ!

その頃から、発起人の私が部長として

まとめるように成りました。

 

そんなある日、部集会の中で

これから硬式テニス同好会としての活動方針を

決めることに成り、部が抱えている問題点

を出し合いました。

 

練習場所が無い!教えてくれるコーチがいない!

道具が無い!

などが大きかったように思います。

 

そこでアクションプランは!

まず、練習場所・・・。

これは、あの遊びで使ってた公園のテニスコートを

うちらが整備する事を条件に貸してもらえるように

要請する!

 

コーチを探す!

これも、公園で出会った一般人にお願いする!

 

道具が無い!

ラケット、シューズ・ウエアーは自分持ちで

コート整備に必要なブラシはソフトテニス部から一本頂く!

ボールは今シーズン部費が出ないので自分たちで購入する!

としました。

 

公園のテニスコートを調べると、そこは市の管轄で

そこで、PLAYしていた一般人は市の職員である事が

判りました。

そして、市にお願いしたところ!

快く!コートの件・コーチの件、承諾いただきました。

ブラシもボールも揃い!

自分たちで作り上げた同好会と何よりその時の仲間が

かけがいの無い存在でした。

 

季節は秋になろうとしていました。

当時、まだ硬式テニス部がある学校は

私が住んでいる県では3校しか無く何処の学校も

同好会程度のもので本格的におこなっていた訳では

ありませんでした。

テレビではビヨン・ボルグ、ジミー・コナーズが

活躍した時代です・・・。

 

そんなある日、ソフトテニス部を一緒に辞めた

1年生が何処から聞きつけたのか、

硬式テニスをやるのなら仲間に入れて欲しいと

言ってきました・・・しかも3人!

 

有難い話です!

始めると言っても、何から始めればいいのか

悩んでいた私には、願ったり叶ったりです!

まず!最初は同好会でいいから顧問をみつけよう!

そこから始まりました・・・。

その日の放課後から、顧問探しに職員室に入りびたりです!

 

放課後ここに残っている先生は文化部の先生か

副顧問の先生・臨時の先生ぐらいでした。

しかし、誰も首を縦に振りません!

 

ですが、在る先生に話を聞いてもらいに行った時、

先生はこう切り出しました。

「私はやっても良いですよ!

ですが、経験が無いので教えられません!

それでよければやりましょう・・・。」

 

その日は、記念すべき顧問の決定で

嬉しくて皆で抱き合って喜びました。

 

そして正式に同好会としてスタートしたのは、

高校1年の夏でした!

帰宅部と言う部は有りませんが、

何時しか、部活で挫折して止めた人達が集まって、

つるむようになり、帰宅部と呼ぶように成りました。

 

それでも、その頃の私達は可愛いもので、

何か問題を起こす訳でもなく、

放課後、公園に集まってはフニャフニャボールを

使って、野球を楽しんでいました。

 

そんなある日のことです!

いつものように放課後、公園に行くと

公園に隣接して作られた石ころだらけのクレーコートで

一般の人達が硬式テニスを楽しんでいました。

その様子を見ていると凄く楽しそうで、凄く上手い!

そして、硬式テニスの打球音は私の心を掴んで

離しませんでした・・・。

何時しか、その人達の様子を近くで見るようになり!

自分もやってみたい、そう思うように成りました。

 

在る日の放課後いつものように公園に行くと

その人たちがテニスを楽しんでいました。

見ていると、そのひとりの方が

「やってみるか」とラケットを貸してくれました。

 

いざ!やってみると難しい!

ソフトテニスの癖が付いている私には

どうやって打っていいか判らない!

いつものソフトテニスのつもりで打つと

全部ホームラン!

 

それを見ていたひとりの方がこう切り出しました!

「きみ、ソフトテニス経験者だろう!ホームがそうだ!

しかもかなり上手かったはずだ!」

図星でした!

「硬式はラケットの持ち方はこうで、手首のスナップを

使うと上手く飛ばない!

手首を固定して腕の振り腰のまわしで打つんだ!」

 

その話は今でも忘れられません!

まさに、目から鱗でした・・・。

 

それからは帰宅部改め硬式テニス部を作りたい!

そう思うように成り、人集めをする様に成りました。

私は中学校3年間ソフトテニスをやってきました。

しかも、巷では少し有名人でした・・・とにかく強かった!

高校に入ると中学の時にソフトテニスを極めたつもりで

いたので、ソフトテニスをする気はありませんでした。

 

そんなある日のことです!

クラブ決めの申請書を第1希望ギター部、第2希望バドミントン部

3希望バスケットボール部と書いて出したのですが、

ソフトテニス部の顧問に呼びつけられました。

そう、先生は私の中学での活躍を知っていたのです。

そして、こう切り出しました!

「なんで、中学で強かったのにソフトテニス部に来ない!」

「君が入るのを楽しみにしていたのに・・・。」

「うちで、やってみないか?」

その言葉に返す言葉も無く、「もう一度考えてみます。」

といって後日、返事をしに行きました。

 

考えた末に

「とりあえず1カ月やってみます!

そして、今後のことを考えます」

 

先生は

「いいだろう!

それじゃ今日から来なさい・・・。」

 

そして、その日から高校のソフトテニスが始まりました。

しかし、先輩達も私のことをよく知っている方が多かったので

シゴキと言う名のいじめが容赦なく始まりました。

 

在る日のこと、いつものようにいじめが始まり、

私はついに耐えきれず!こんな事を言ってしまいました。

「お前ら、弱いくせに!1年生いじめるしか脳が無いのか?

ちゃんと練習しろや!」

そして、1年生と先輩方の対立へと発展!

その後、一度入った亀裂は顧問が仲裁に入っても

おさまることが無く、私を含め1年生の半分は

1カ月しないうちに辞めて行きました。

 

それからです!

帰宅部を選択したのは・・・。

Movable Type 4 へようこそ!

| コメント(1)
このブログ記事は、Movable Type 4のインストール完了時に、システムによって自動的に作成されたブログ記事です。 新しくなったMT4の管理画面で、早速ブログを更新してみましょう。

最近のコメント

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。